はじまってもいなかったから

これから始めていきます

→過程→結論→

[ある日の日記の一部から]

 

今思えば、今まで考え事が好きだと言っていたけれどもそれは文章で表現することが好きだということと共通項があると思った。

一種の表現行為を通して自分の主張を発信する行為は古くからおこなわれてきた。人間の性である、誰かに認められたい、社会に関与したいという気持ちは人一倍僕にもある。頭の中で考えたものが往々にして独りよがりなものであることは自覚しているから、まわりに見られても大丈夫な形式を保つことを求められる。

考え事が好きな僕には、常にその日本語(ことば)に対する意識も備わっていた。こんな日本語大丈夫かな、それはもはや正しい日本語なんだ等、「そんなことどうでもいいでしょ」と思われることにも興味を持てた。

その甲斐あってか僕の考える行為は文章で発信するということの根源だった。きっとこんなことは古くから言われていて、結論はすでにあるのかもしれないけど、自分で考えてこの結論至ったという「過程」がこの場合には意味がある。結論を横から持ってきて、はいこういうことなんです、ということにはどうも説得力がない。

極めて慎重に、そして長い時間をかけて、流れる水が岩に穴をあけるように、ある瞬間に結論をさっと手にする。そんな過程がこの場合は自分にとっても、それを伝えられた相手にとって価値のあるものではなかろうか。